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「山と谷のあるところ」 出品作家座談会(地域貢献スペース/立川)


多摩信用金庫2階ギャラリー(地域貢献スペース)では、小泉聡子(こいずみさとこ、1995- )、早川佳歩(はやかわかほ、1996- )、中村朝咲(なかむらあさき、1996-)によるリレー形式の個展「山と谷のあるところ」を開催いたします。会期は、7月25日(月)~9月2日(金)です。

本展の出品作家である早川佳歩さん、小泉聡子さん、中村朝咲さんの三名に、今回の展示企画について、また、それぞれの作品制作や「版画」への向き合い方などについて語っていただきました。


(聞き手・文:たましん美術館学芸員 佐藤)





|近年の制作について


早川:私は銅版画作品が多いですが、それと謄写版…ガリ版は自分が開催しているワークショップでやっていて。これはシルクスクリーンのような要領で作るものですね。ガリ版の作品も今回の展示では出そうかなと考えています。


小泉:謄写版っていい表情が出るね。


早川:試しに作ってみているよ。


小泉:私は基本的にサイズの大きな作品を作っています。紙も版も切ることが短くすんで楽に作れるので…。


早川:いいね、小泉のは、でかい。


中村:基本的に大きいよね。


小泉:今回の展示では三人みんなでそれぞれ1つずつ、常設のような形で展示する小さめの作品を作ることになったのですが、なかなか小さい絵が描けなくて…、今苦労しているところです。


早川:小泉は同じ形の反復みたいなものが増えてきたね。最近。


小泉:制作は、はじめに針金で小さいオブジェじゃないけれど、半分遊びのような感覚で形を作って、それを写真に撮って、面白いなあと思ってそれをどんどん版に起こしている感じです。自分は基本的には、たまたま道に落ちていた何かとか、シミとかがきっかけになっていて。版を作っている時、リトグラフってアルミ板の上に水を敷くんですけど、その模様とかも面白いものが出てくるから、そういった、元々存在しているような形であったり、たまたまできた形から拾ってくることが多いです。たまたまできて面白いから描いてみようという感じで。今回の展示では、学生の時に作った作品も出して最近の作品と比較するのも面白いかなと思っています。

それと、元々、格子状のモチーフが好きだったんですけど、これはどうしてだろう…。


早川:そういえば、三人ともグリッドをよく描くよね。


中村:ああ、そうだよね。


小泉:なんで好きなんだろうね。わからないけど…。


早川:グリッドのモチーフはちょこちょこ出てくるから、今回の展示スペースの縦のラインと、ギャラリーの外から見た時のガラス壁の横のラインで、それが強まったらいいよね。


中村:いいね、面白そう。


小泉:今回はグリーンスプリングスをイメージした作品をそれぞれ描く、ということになったんですけど、あの場所の「長い」イメージというか、それがまず気になっちゃって。それを考えたら、横長の大きな作品を作っちゃったんですけど。そういうものが好きなのかなと思っています。


早川:私も今の小泉の話にあったような、たまたま見つけたシミとか、落ちている物とか、そういうものが自分の絵の元になっていますね。


中村:私も格子のモチーフは使用してますが、修了制作の時にも、あるイメージを四角く切り取って分解して版にして、貼り付けて再構成するというものを制作しました。同じイメージをずっと眺めていると、ゲシュタルト崩壊のような、画面が崩れていくような感覚になることがあるな、と気づいた時に作ったものですね。私の制作は、聡子ちゃんと似ているところもあるんですけど、まず気になるところを写真で撮影して、その写真をずっと眺めて、本当にどこが気になっているのかというのをちょっと冷静になって客観的に考えて、そこから版に起こしていく、という工程でやっています。なので、だんだん作業的な感じになっていくんですね。作品が完成した時には、あまりそれに対して面白いとか、楽しいとか、そういう感じはあまりなくて。「できた」という感覚だけなんですけど、それが自分にとっていいのかなと個人的には思っていたりします。あまり自分の感情のようなものを入れないで作るというか、一回その「気になるところ」を見て、写真に撮って、それをまた見て、それを版画という間接的な、様々な工程がある方法で制作して完成するという。たくさんの工程を踏んで作るという、そういうやり方が自分には合っているのかなと感じています。

今は修了制作などの時よりも平面的な、薄い板に絵を張り付けて、展示の方法で面白い見方が生まれたらいいなと思っています。例えば吊るしたり、壁から浮かせて設置したりして、より軽くてよりあいまいな存在にしたいな、と思いながら制作しています。





|本展覧会を企画した経緯について


早川:地域貢献スペースを知ったきっかけは、以前私がたましん美術館でアルバイトをしていたことがまずありまして。企画の募集が始まったのを知り、「じゃあやろう」となりました。でも、一人はどうだろうなあと。会期も長めだし、一人で展示するのもいいけれど、何かほかにできないかなと考えていました。それで、この二人に声をかけたんです。私たち三人はムサビの版画専攻の同級生なのですが、まず、元々小泉とは一緒に展示をしたことがあって、その時、お互いの制作の話とかもするし、小泉が学部を卒業して2年ほど経った今どんな作品を作っているのかなと気になったのもあり、声をかけました。中村は私と一緒で大学院に進み、彼女とも結構作品の話をするんですが、この三人だったら共通するところが見つけられそうだと思って、漠然とですが、とりあえず「三人で展示をやろうよ」というところから企画を掘り下げていきました。


――今回はリレー展示ということなのですが、そこにはどんな意図が込められているのでしょうか。


早川:まだどうなるかはわからないですが、順序としては小泉→早川→中村となります。小泉の展示を見て、その展示期間中に私が新しい作品を作ったり、やっぱり前考えていたここの構成変えてみようかなと考えたり。それで、そうやってできた私の展示を見た中村の展示も当初考えていたものとは違ったものになったりすると思うので。そういった、前の展示を受けて内容を考えていくことを想定しています。小泉がこういう図像を持ってきたから、私も使ってみようかとか、小泉が描いたこれってグリーンスプリングスのあそこだろうか、自分もそこを描いてみようかな、あるいはその隣を描いてみようかなとか…。


――バトンとして受け継いでいくものが前もって決まっているわけではないのですね。


早川:そうですね、会場で配布する予定の印刷物に描いたドローイングも、展示順に描いたものなんですが、小泉が描いたドローイングに私が描き足して、最後に中村が描き足してというふうに作ったんです。ここで今回の展示のウォーミングアップをしてみたというか。


――三人のドローイングが重なっている、違う時間が重なっているというか、レイヤーが意識されてきますね。


早川:レイヤーの意識はやっぱり版画やっているからかなという気がします。油絵描いてたらこういうことにはならなかったかなと思いますね。


――三人にとっての絵を描くことのモチベーションとか「版画」を制作しているということが、今回の企画のアイデアや「山と谷のあるところ」という展示タイトルに繋がっていったというお話を事前に伺っていたのですが、それについて詳しく教えてください。


早川:絵を描くことというと、先ほどの話の中でも出たように、三人の中で「ここは一緒だよね」みたいな感覚になる部分があって。小泉はドローイングで、針金とか粘土とかを使って、パッと作った形というか、くしゃっとさせたような形から絵を始めているのですが、そこは私も制作プロセスとしては近くて。出てくる図像は、中村は結構具体的なものから描いているけど、結果的に抽象度の高いものになっています。タイトルの「山と谷」というのは、版画のインクの盛り上がりのことだったりしますが、あとは、この展示タイトルをつける時には中村の作品についてを一番、考えたかなと思います。中村のその、ミクロとマクロの世界を行き来するような制作について考えた時、展示のテキストに書いている「箱庭の拡大図」とかそういう言葉が出てきて。出てくる絵自体は三人とも結構違うんですけど、話してみると制作プロセスとしては同じだったりする。中村の作品でいう、「ミクロとマクロを行き来する」というところについては、三人とも通じている部分があるんですが、そこに結果的に出てくる違いというのは、虫眼鏡で対象を見る時、どれくらいのレンズの距離感でそれを見ているのかという違いなどに近いと思います。


小泉:みんなの作品は、見た時に「ああ、わかるなあ」と感じるんです。「こういう見方をした」とか、「こういうプロセスで作ったのか」とかわかるんですよ。でも、それは自分には作れないなあと同時に感じるんですよね。


中村:同じ世界にいて、見てるものとかも、興味があることとかもきっと近いんだろうなと勝手に思ったりしているのですが、やはり制作の結果出てくるものが違うというのは不思議というか、自分でも面白いです。一人じゃそれはわからないですよね、三人いるからこそそれが見えてくるんだと思います。


早川:じゃあ、絶対にこの三人の展示をすべて見ないと展示が完結しないのかというと決してそういうわけではなく、それぞれの展示だけ見てもいいし、何代目○○というような感じで展示タイトルをみんなが襲名していっているような…、なので、ある期間の展示だけしか見なかったとしても大丈夫な展示にはしたいです。


中村:三人の展示全てでも、誰かの展示一つでも、それぞれ自立はしているという感じかな。


早川:展示を見たら直接的に、「ここが三人の共通点かな?」とわかるわけではないけど、会場をうろうろしていたら、「これとこれって、この間の展示にあったあの要素か」「あの形に似てる」というのが見つかるとか、展示空間で作品と対峙している時だけが展示を見てる時間というわけじゃなくて、例えば別の場所に行った時にそれを思い出すことも「見ること」の一つだと思うので、そういった意味で、展示がどんどん拡張していくようなものになったらいいなと。


――前回の展示やその前の展示を思い返しながらまた一つの展示をそこで実際に見るというのは、面白い体験になりそうですね。


早川:一つの絵の上だけで視点が動くことだけが鑑賞じゃなくて、歩き回ってその絵から離れたところからも見る、というような。そういう経験を作ることができる展示にしたいですね。





|空間との関係性


――グリーンスプリングスの施設の形状や物理的な特徴を活かした展示にしたいということも事前に伺っていましたが、具体的にどういったことを考えていらっしゃいますか。


早川:そうですね、まず、ギャラリーがグリーンスプリングスの噴水のある広場に面していて、そこに大きなガラスの壁面がありますよね。広場側から、このガラス越しに作品を見てもらうことを考えていて、個人的にはこのガラスを大きな額縁みたいに使えないかなと思っています。私は額縁に入れないで展示する作品も作ってはいますが、普段制作する作品では大きさ問わず額装することもあって。金色で装飾的でガラスが入っているような古いものを使うことが多いです。それと同じようにあのスペースのガラスを使えないかなと思っています。噴水の前から見ても面白いような、あの通路のスペースだけが作品を見る場所じゃなくて、という。そういった見方を誘導できる工夫も考えています。


小泉:自分もその話を聞いた時に、面白いなと思いました。自分も、展示をしたことはこれまでにもあるわけですが、やっぱりキューブの中っていうイメージが強かったから、「外から見る」というのはなるほどなと思いました。なので、今回出品作品を選ぶ際も、そこを考えて選びたいなと思っています。あのスペースって、すごく長いじゃないですか。面白いんだけれど、結構難しいなと感じていて。


――これまでのあのスペースの展示は、利用規定の関係もありますが、あまり大きくはないサイズの平面作品を一つ一つオーソドックスに壁にかけて展示することが多かったです。今回の展示では一点、横2~3メートルほどの作品を展示される予定とのことですが、あのスペースにそういった大きめのスケールの作品が来るとなると、ギャラリーの通路の幅が、作品を見るための距離としてはやや狭いのではないかと思います。


早川:あそこは壁に掛けられた作品を見るために遠ざかることは難しいですよね。あの通路を通るだけじゃ見えない位置にも作品を設置して、遠くから建物全体を含めて見た時に、「あ、あそこにも何かあったんだ」となる展示がしたいですね。私の作品はそこまで大きくないので、そういった壁面の使い方ができたらいいなと思います。展示する時の感覚としては、絵を描いている感じと変わらず、展示する部屋や壁面が紙やパネルのような感じで、何をどこに置くかというのは、この絵具をどこに置くか、という感覚と一緒ですね。


中村:私も、ガラス壁からギャラリーの中が見えるのが面白いなあと感じていて、遠くからも見られるというのもあるのですが、結構、その窓に広場の噴水がしっかりと映り込んでいて、それも面白いと思っています。私は、基本的には自分の目に映ったものを描くというのが一つのテーマとしてありまして。目に映るものって、クリアに見えるものもありますが、例えば考え事をしている時に頭の中に浮かんでくるものとその時実際に見ているものが、重なって見えることもあるなと感じているんです。感覚的な話ですけど。そのことと、今回の会場のように、ガラス越しによく見たらそこに作品がある、というのが、重なる部分もあるように思ったりしていて。なので、そういった展示にできたらと思っています。ガラス壁の外側からギャラリーの中を見た時、はっきり見えなくてもいいから、何かあるな、という…。ガラスがあってよかったというか、レイヤーの役目をするものとしてあってくれればと思いますね。


早川:あのガラスも、単にガラスに編み編みの格子がついているのかなと思ったら、横棒が途切れ途切れについているっていう、なんか少し珍しい形をしていますよね。


小泉:あの横棒を、楽譜じゃないけれど、そういう風に見立てて使ったりするのもいいかもしれない。…自分は二人ほど空間のことまで考えて制作するのが得意じゃないので、今回の企画に対しては、面白いと思いつつ、ちょっと怖いなとも正直思っていて。でも、絶対に私の作品は大きいので、そうなると(ギャラリーの)外から見るしかないから…、やるぞ、と。ちょっとドキドキ。


早川:小泉の場合は、大きければ大きいほど、私らが言っている展示のやり方に近づいていくと思うから、もうそれでいいよ(笑)。


――小泉さんはご自身の制作の中で面白いと感じていることとして、画面の広がりについて挙げられていましたよね。


小泉:大きくというのもあるけれど、むやみやたらに散らばってしまうのも避けたいところではあります。飛び出る、というのとも違うんだけれど、広がっていくというか、そういうことは、意識するほどでもないけれど、やっぱり気にはしています。今制作しているもので、特にそのことを考えて作っている作品がありますが、二つで対になっている作品で。ある程度周りの空間まで含めた、でも一つ一つは独立した何かみたいなものを、最近はよく考えています。





|「絵を描く」ために版画を選んだわけ


――展示のステートメントにもあるように、「紙」の存在や、その上に線を引いて図像を描くという、絵を描くことにおけるかなり基本的な段階に、皆さんは重要性を感じていらっしゃるのかと思ったのですが、そもそも版画を制作していこうと考えた理由を教えてください。


早川:私は元々油絵を描いていたんですけど、全部が自分の思い通りにできちゃうというのが、なんだかしんどくなってきたんですね。版画だったら、版を作るということだから、それはあくまで絵を描くための道具を作っているのであって、筆とか絵具を作っているのと同じような感じで。ただそれを作って、支持体にそれをポンと押したら絵が急にパンっと出てくるというのが、面白くて…なので、版画にしましたね。

油絵とかって、描いている時の気持ちとしては、「生み出している」という感じで。一方で版画をやっている時の感覚って、“道を歩いていたら、かわいい野良猫が横切ったよ、家に連れて帰って育てよう!”みたいな感じがあるんですよね。油絵に限ったことじゃないけど、全部を自分でやって、途中でうまくいかなかったりすると、自分のことが嫌になってくる感じがする。でも版画って、うまくいかなかったら、「この版はうまくいかなかった版」って割り切れるんです。「じゃあ次」ってできる。中村とかみたいに、ドライポイントで結構細かく色々と一枚の版に時間をかける人はどうかわからないけど、私は一瞬で版ができるから(笑)。


中村:私は版を作るのに時間はかかるけど、それでも、版に対して愛着とかはあんまりないっていうか(笑)。“作業”にしているというか、あえてそうしている感じなので、気持ち的には結構ドライというか。そうですね、私も、早川が今言ったのと結構近いところがある気がしますね。その「自分で生み出している感」はあまりないです。


――版画だと、自分が一から描く絵に比べて、「生み出す」というわけじゃないところが、合っている、と。


中村:そうですね、あと、私の場合は、いくつもの工程を経てできてくるというところで、本当に私がやりたいことを見えやすくしてくれるのが版画という技法だなと思っているんです。それがなぜなのかよくわからないのですが、そうやって多くの工程を経てできたものって、結構、純粋なものだったりして。多分、その過程で色々と削ぎ落とされていくんだろうなと。それがいいんだと思いますね。


早川:濾過されていくというか。


中村:そうだね、そんな感じがします。


早川:小泉のリトグラフは、版にダイレクトに描画するから、そこだけ見ると時間がかからないように思えるんだけど、その先の、版になるまでの工程が結構色々あるもんね。


小泉:そうですね、描くのは本当に、5分とかで終わる場合もあるので。でも、5分で描いたものなのに、2日とか3日とかかけて、版を寝かせて、という…本当に、正直面倒くさいんですよ(笑)。私はその作業が好きとか全然ないんですけど。


早川:リトグラフは一番、うちらの使っている技法の中では、特に「描いたものがそのまま結果になる」ものだと思うけど、それでも一回は版にするわけだよね。


小泉:自分も、あんまり作品を「自分で生み出している感」はないんですけど、そもそも版って刷ると図像が反転しちゃうじゃないですか。その時点で、全然、自分がイメージしていたものとは違うものが出てくるわけだし、それでいいや、というか、自分で描いていると、自分の描けるものしか仕上がらないというか。自分の手で描けてしまうことで、絵がだんだんと生々しくなってくるんですよね。自分にはできることはそんなにないから、版に任せちゃおうという気持ちでやっていて。なので、軽率に版を回したり、逆向きに刷っちゃったりとかもするんですけど、自分も、自分でやっているという感覚じゃなくて、その制作工程も好きじゃないんですけど、でも、その工程を挟んでいくほどに、どんどん自分から「離れていく」という感覚があって。「自分が描いたもの」というところから遠くへ行ってくれる。私もその方がいいなと思っていて。さっきの野良猫の話じゃないけど、自分も、いいものを拾ってきて、それをペタっと貼りつけて…という。リトグラフはでこぼことかもあまりできない技法ですが、それも含めて好きですね。作品にはならないけど、写真を撮る時の感覚にちょっと似てるかな、と感じます。


早川:私、銅版画を選んだ時、「リトグラフはどうなの?」って先生に聞かれて、「リトグラフは製版の工程が面倒くさすぎて嫌だ」って言ったんだよね。今は謄写版もやっているけど、これは本当に、一瞬でできる(笑)。


小泉:なるほどなあ。直に描ければそれが一番楽ではあるんだけど…。


早川:自分の腕を自分から切り離して客観的に使えればいいんだけど、それができないから版を使っているというか。


小泉:(自分の手で直接描くと)どんどん生々しくなってきちゃうから…。


早川:自分の腕が自分の物じゃないように使えて、その結果としていい絵ができるならいいんだけど、絶対にそうはならないから版にやってもらっているという。


小泉:そうだね、やってもらっているって感じだね。


中村:うん。


早川:版って、“子供”って言うよりも“孫”みたいな存在じゃない?自分にとって。


小泉:ああ、孫の方が無責任に可愛がれるような気がするし…(笑)。


早川:孫の方が、可愛がるけど、適当にできるというか…。


――版画特有の制作プロセスが、作品と作者を遠ざけていくというところも、版画の魅力の一つでもある、と。


小泉:あさちゃん(中村)の作品を見ていて思うのは、自分だったらそんなに手をかけて、時間をかけて制作していたら、絶対に変な感情が入っちゃうだろうなって。ある意味すごいなというか、どうしてそんなに時間をかけているのに、ドライでいられるのかなってところが気になる。不思議。


中村:手数でいえば三人の中では圧倒的に多いんだけど、そうだね、点とかも、全部一から作っちゃったりしているし…、どうしてだろう、でも、そこに何の感情もないっていうか、「ああ、頑張ったな自分」とかそういう気持ちも全然ない。強いて言うなら、鉛筆を削っているような感じかな(笑)。なんていうか。多分その行為自体が、絵と離れているのかなと思ったりする。この絵を描くために、例えば、点を打ったりするという行為があること自体は事実なんだけど、自分の中で、絵とその自分の動きは分かれているんだろうなと。


早川:そんなにやって、「自分頑張ったな」とか思わないっていうのすごいね。レポートとか論文とか書くのにキーボード打って、「はあ、頑張ったな」って思うけどなあ。


中村:そうだね、でも論文書くのとかでキーボードを叩くのは…私でも、それについては多分、頑張ったなって思うんだろうけど…。このことを、もう少しうまく言葉にできればいいんだけど。でも、多分、自分にとって「意味はない」ってことなんでしょうね。絵も、自分で描いた絵ではあるんですけど、これが何なのかというと、別に何でもないっていうか。作らないよりは作ったほうがいいのは確かなんですけど、そこに例えば論文とかみたいに特別な意味とかはないのかな、と。


早川:中村のは多分、キャベツの千切りに似てるんじゃないかな。


中村:ああ!それは感覚として一番近いかもしれない(笑)。


早川:ワーっと切っているときは、「この細さで、指を切らないように…」とか考えながらとにかく切り続けているんだけど、気がついたらふわふわの千切りキャベツができてるっていう(笑)。これを特別な料理のメインとして使うわけじゃないけど、横に添えるもの、というか。


中村:ああ、メインのカツとかじゃなくて、その横に添えてある、意味があるようでないようなものというかね(笑)。そんな感じの存在のものを作りたいのかな…と今の話を聞いて、思いました。だから、そう、大した意味はないんですよね。


早川:もしかすると、私たちみんなそういう意識があるかもね、大した意味はないんだけど…っていう。でも、「この線、この一本、いいよね。」っていう感覚があるから、描いてる。紙に一本いい線が引いてあったら、絵だし、それをつかまえられたら、ほくほくした気持ちになるよね。


中村:うんうん。そういう感情があるのも、また確かだから、不思議なもんですね。なんというか、こうして生きていても大して意味とかないじゃないですか、ただここにいるからいるってだけだし。でも別に、つまらないというわけではなく、それはそれとして楽しんでいきたいなとは思うし、それと同じ感覚なんじゃないですかね。





 

|最後に、出品作家の皆さんから、本展示をご覧になる方へメッセージをいただきました。


中村:目の端に入って、なんかいいかも、と思って見てもらえたらいいなと思います。


小泉:あんまり気負って見るものじゃないよ、と。作品一つ一つをしっかり見るというよりも、眺めるような感じで見てほしいですね。せっかくリレーで展示するので、展示が変わるごとに、あの場所の風景が変わっていくのを感じてもらえたら。


早川:季節が変わって葉っぱの色が変わるのを眺めるような…、生活の中にしれっと存在するような、それくらい距離が近く感じてもらえる展示になればと思います。



 

座談会では、今回の企画展について、そして、作品との距離感についても興味深いお話を伺うことができました。三人が版画という手法で制作を続けていることからは、絵を描く行為や絵の成立に対する三人それぞれのこだわりが伝わってきます。また、それぞれの作品のモチーフがどのように見いだされるのか、というお話も印象的でした。皆さんにも、自分にとって身近で何気ない、けれど「なんだか心に引っかかるもの」はありませんか。今回の展示はそんな存在に気付くきっかけになるかもしれません。


 

山と谷のあるところ 

会期|2022年7月25日(月)〜9月2日(金)

第1会期 小泉聡子 2022年7月25日(月)〜2022年8月6日(土)

第2会期 早川佳歩 2022年8月8日(月)〜2022年8月19日(金)

第3会期 中村朝咲 2022年8月21日(日)〜2022年9月2日(金)

利用可能時間|午前7時〜午後10時(8月7日(日)、8月20日(土)は展示替えのため観覧できません)

入場料|無料

会場|地域貢献スペース(多摩信用金庫本店本部棟2階北側通路のギャラリースペースです)

〒190-8681 東京都立川市緑町3-4 多摩信用金庫本店2階

   JR立川駅北口より徒歩約6分

   多摩都市モノレール立川北駅より徒歩約4分

お問い合わせ|042-526-7788(たましん美術館)