多摩信用金庫本店2階ギャラリー(地域貢献スペース)では、尹朴陶熙(ユン・パクドヒ)による個展「流れる」を2023年10月13日(金)まで開催しています。
出品作家のユンさんから、作品の背景にある考え方やモチーフへの想い、版画制作のスタイルなどをうかがいました。
(聞き手・文:たましん美術館学芸員 佐藤)
――今回の展示を企画した経緯を教えてください。
この会場を知ったきっかけとしては、私はたましん(本店)のとても近くに住んでいるということがあります。初めて来日した2015年からずっと同じところで暮らしているんです。なので、もう10年近くになりますね。その間に、立川の街の変化をずっと見てきたというか。それこそ、今のグリーンスプリングス(たましん本店が入る商業施設)が建っている場所が空き地だった頃から、この辺りは日常的に散歩していて。地域貢献スペースの募集要項には多摩地域に縁のある人、というものがありますよね。企画を申し込むにあたって立川に暮らしてきた自分はまさにそのポイントもクリアしているなと。
また、私は来日して立川に住むまで、子供の頃は様々な国で暮らしてきました。その経験が元となって、色々な社会を行ったり来たりする人々をテーマに作品を作っているのですが、自分が立川という地域に対して感じている印象も、それに重なるんです。グリーンスプリングスはまさにそうですが、どんどん開発されて、様々な人の通りが作られていくところに対してそう感じます。色々な人々の流れが生まれていっているというところが、似ていると感じます。
また、会場の壁面の広さも理想的でした。私は銅版画で、基本的にはサイズの大きな作品を作っています。今会場で展示している作品は、黒いインクのもの(壁面向かって左側)と青いインクが載っているもの(壁面向かって右側)と2点ありますが、2点を合わせた横幅は8メートルほどあります。この2点を並べて展示したいと思うと、それが可能な会場って意外となくて。地域貢献スペースの壁面は横幅も高さもかなりあるので、これはいいなと。壁面の広さというのも、ここで展示をしたいと考えた大きな決め手になりました。
――今回の展覧会のコンセプト、制作の背景について詳しく教えてください。人の行き来や複数の社会を横断することなど、移り変わりや移動というのがポイントになってくるのでしょうか。
まず、自分の制作の根底には、「人」の存在があります。武蔵野美術大学の学部に在籍していた頃、私は近年制作しているような水でなく、木をモチーフにして作品制作をしていたんです。木と人は似ているところが多いと思っていて、同じ種類の木でも、土とか育つ環境によって全然育ち方が違うじゃないですか。木の姿が変わる。それってまさに人と同じですよね。例えば「日本人と外国人の姿が違う」とか、そういった大袈裟なレベルでなくとも、一日のうちにその姿を変える人は多いですよね、仕事の時とプライベートを過ごす時とでは全く違っているだとか。私はその頃「人」を描くために木を描いていたんですね。それはあくまで「個人」の話でした。ですが、だんだんと歳を重ねるにつれて、その視点が「個人」から広がっていったように感じています。「一つの木」が「森」になり、その段階を経て、「森」を支える「水」と出会ったというか。そして、人が生活する環境、より具体的に言うと、人が自分の「家」と呼べる場所とはどのようなものか、といったところに興味が向くようになっていきました。
水をモチーフにし始めたのは自分が武蔵野美術大学の修士課程に進んだタイミングでした。ちょうどその頃にたましんで作品の展示ができることを知り、大きな噴水があったり、街区の中に水が流れていたりと水の存在を強く感じさせるグリーンスプリングスに面した会場で、自分の作品を展示できたら、なんだか「かっこよさそう!」と感じました。
――制作の上で、「人そのもの」「個人としての人」に対する視点が、それを取り巻く環境に対する視点へと移っていったんですね。
そうですね。また、私個人の経験も影響しています。先ほどもお話ししましたが、私は小学生の頃に2年ほどフィリピンに住んでいた時期がありまして、現地の友達に「あなたはどこから来たの?」と尋ねられた時に、それは今自分が暮らしている「フィリピンの家」のことと、自分の生まれた「韓国」のことのどちらを指しているのか分からず悩んだんです。その後中学生に上がると、また韓国に戻ったのですが、そこでも同じ質問をされるんですね。生まれ故郷であり、その時実際に暮らしていた「韓国の実家」のことと、自分が暮らしていた「フィリピン」のことと、そのどちらを答えとすればいいのか。…今考えてみると、結局私たちはどこに住んでいるのかな、というのが自分にとっての大きな問題で。この問いを元に作品を制作するにあたり、単純に「家」を描いてもよかったのですが、私はその「家」という存在の「流れ」を描きたかったんです。なので、水をモチーフとしていますね。
――水は水でも、水面を描くことにしたきっかけというのは?
はい、これも私自身の幼少期の経験が元になっています。韓国の私の実家は北朝鮮に近い土地にあって。家の近くには、北朝鮮から韓国へ流れる川がありました。高い柵で囲われ、軍人が常駐して監視しているような、とても厳重に守られたところだったので、私はこの川は人が入れないものだと当時はずっと考えていて…この川は自分にとってかなり印象深いものですね。この地域は、韓国人だけでなく北朝鮮からの逃亡者や中国からやってきた人たちも一緒に働き、暮らしているところでした。そういった風景を絵に描いていたこともありましたが、その中で、川の周辺に人が集まり、暮らしを作り、社会や文明を築いてきたのだということを強く感じたんですね。それはもちろん、私の実家の近所の川だけでなく、世界の様々な地域の川で言えることなのですが。
また、大学の教授にその話をしたら、教授が「自分の育った町の川を思い出した」と、こんな話をしてくれました。というのも、教授にとって、川は差別の象徴だったと。日本には“川向こう”という言葉があって、此岸に対しての彼岸のことを指す場合もあるし、「川の向こうに住んでいる人は貧しい」など差別用語同然に使われる場合もあるそうなんです。川自体はただ流れているだけなんだけれど、それを中心に人の営みができていく。そして、川の存在を様々な意味での“境界”として捉えた物語が作られ語られていくということですよね。その時に、川って人の社会そのものに似ているなと感じました。
私は制作のために川や海を観察して、写真をたくさん撮りためているのですが、あとから見返すと、「これってどこの川だったっけ?」となることがよくあるんです。水面って多少の違いはあっても大体同じじゃないですか。街中を流れる川は特にそうですが、岸から見るとゆったりと流れているように見えても、水中ではかなりのスピードをもって色々なものが行きすぎていく。また、川の水面というのは二度と私たちは同じものを見られないわけで…それってまさに時間の流れと同じだなと。私たちって、時間の中でゆったりと毎日暮らしているように感じるけれど、実際はあっという間に10年、20年経ってしまうじゃないですか。
――一見するとゆったりとした流れに見える川の水面下、というか内側に、私たちも生活している感覚というか…。
そうですね、今回の出品作品は《border》というタイトルですが、自分たちが生活を送っているところはまさに川の中と同じなのではないかという考えの集大成となることを願って制作しました。2点の間に立って鑑賞すると、ちょうど大きな川の真ん中に立っているようなかたちになります。少しでもそういったことを感じ取ってもらえたらと思います。
――「これは海かな」と最初は思っていたのですが、川を描いた作品だったのですね。
そのあたりのことはあまり、「これ」と決めているわけではないですね、あくまで流れる水が生み出す“境界線”を表したいというのが一番にあるので。私の絵を見て「川」という人と「海」という人で結構分かれるのですが、個人的にはどちらかに決めたいとは思わないですね。境界線の向こう側へと想像を膨らませてもらえたらなと。
――具体的な制作についてお話を伺いたいのですが、今回の出品作品は、右側と左側で同じ版が使われているんですよね。
はい、左側は作った版を単純に黒のインクだけを使って刷ったもので、右側は、同じ版を黒いインクで刷った絵の上に青いインクを重ねたものになります。私は版を重ねる時にあまり厳密に見当をつけることはしないんですね。同じ版を重ねる時に、少しだけ版がずれることで、絵に微細な動きが生まれ、水面の揺れそのもののように見えてきます。実験しながらやっていますね。今回は、まず黒いインクで刷り、次に同じ版に青いインクを載せて刷るのですが、その直前に、版の上にプリントクリーナーをばらまいて、色が散らばったようなランダムな表現を目指しました。左側の、最初に刷った方の絵が、かっちりと決まった絵になったので、それを少しだけ崩したいという思いもあって。意外と銅版画って、インクを変えたり、紙に刷る直前の工夫で、同じ版を使っていても絵に大きな違いが出るんですよね。
――確かに、出品作品については、2点が違う絵なのかなと最初に思って、じっと眺めてやっと、版が同じだと気づきました。
絵の動きというか、少しの遊びというか、そういうものを出したかったんですよね。自分の銅版画は退屈な絵ばかりじゃないぞ、と伝えたいというか…。これは私自身の制作の特徴でもあるのですが、私は基本的には銅版画の古典技法だけを使ってこれまでずっと制作してきたんですね。そういう作品なので、見る人にとっては、退屈だとかおとなしいだとか、感じることが多いみたいなんです。
――そもそもユンさんはなぜ版画を手がけようと考えられたのでしょうか。また、その中でも銅版画を選んだのはなぜですか。
当初は純粋に「絵が描きたいな」と思って武蔵野美術大学の油絵学科に入学しました。それで最初の2年間は油絵学科にいたわけなのですが、油絵学科って、制作のためのスペース以外はほとんど何も提供されないんですよ。制作テーマも各自に委ねられていて。油絵自体はそれまでずっと描いていたんですが、2年生の後半の授業でいざ自分の好きなテーマで描いてくださいと言われた時、自分は全く手が動かなかったんです。何を描けばいいのかが全然分からなくなってしまって…。また、その年の自分の同期は、絵画でなくインスタレーションを発表する人が多かったので、自分も影響は受けましたが、どうすれば作品を良くできるのかとか、作品の良し悪しもよく分からなかった。…当時は、これから私はどんな作品を作っていけばいいのかなと悩んでいました。
そんな時、友達に誘われて、版画専攻の選択授業を履修してみたんです。木口木版の技法を使ってブックカバーを作るという内容で、なんだか楽しそうだなと。いざやってみると、やっぱりすごく楽しかったんですよね。作るべきものを提示されて、それに向かって試行錯誤するのが合っていたのかな。その時は版画のことは全然分からなかったんですが、ちょうど学内コンクール展で先輩方の作品を見る機会があり、そこで版画専攻の作品を見て「版画ってこんなに色々な表現ができるんだ」と感動してしまったんです。油絵ではうまくいかないけれど、版画なら私もいい作品が作れるかもしれないと思い、油絵からの転向を決めました。あとは、私は何かを作るのにずっと手を動かしているのが好きなんですよね…。
――なるほど、版画の、ある種手仕事的な部分だったり、制作工程が明確に分かれているという特徴がユンさんに合っていたんでしょうか。
そうですね、それは大きいです。版画って、手を出し始めたら何かしらやるべきことがあるんですよ。また当時は、卒業したら「作家になる」というよりも、ここで学んだ専門的な技術が自分の手元にきちんと残ればいいなという思いがあったのもありますね。版画の技法はまさに大学のような専門機関でないと身につかないと思うので。先ほど仰った手仕事的なものというのは個人的に好きで、専攻したい版種を選ぶ時も、木版か銅版かすごく迷いました。版を作る楽しさという点で…。でも、最終的には「大学だからこそできる方にしよう!」ということで銅版を選択しました。銅版画は、機材とか道具のことを考慮しても、やはり大学などでしか制作ができないんですよね。スペースの問題に加えて、誰かに手伝ってもらわないと行えない工程もありますし。自宅ではまずできないし、自分一人だけでは最後までできない。
――設備が揃っていて、同じ空間に自分以外にも誰かがいて、時々お互いに協力し合いながら制作をするというような環境がある、それも版画ならではのものですね。
それも私にはかなり合っていたと思います。油絵専攻では、アトリエに滅多に来ない人やあまり周囲と関わりを持たず黙々と制作している人も多く、ちょっと寂しかったんですが、版画専攻の雰囲気はそれとは違っています。私は基本的にはいつも大学に来て、誰かと制作についてお喋りしたり、途中段階の作品を見せ合って話し合ったりしたいんですよね。それは自分にとってプラスになる。あとは、制作工程では事故を回避するためにやむを得ず複数人で行動しないといけない状況もあるんですね。そこでコミュニケーションを学びましたし…。先生も先輩も気軽に話しかけてくれたり、技法について直接教わって、協力してもらいながら制作ができますし。そういう環境は本当に合っているなと。
――制作の上で重要視していることはどういったことでしょうか。
そうですね、銅版画は、紙にスケッチしたものを転写して版刻するのが一般的ですが、私はいきなり銅版に直接スケッチして版を作っています。油絵を描く時と同じ感覚で絵を描いているように思います。「版の上に痕跡を残す」ということがとても自分にとって大切なんです。版に傷を残すことって、社会に何かしらの痕跡を残すということじゃないですか。硬い銅版に直接描いていく行為は、まさに痕跡を残しているという実感が伴うので好きで、腐食させるとその傷がより痕跡として明確になります。また、銅版画は、版の表面に付けた傷にインクを詰めて刷るので、マイナス(傷)が紙の上でプラス(線)に転じるところが大きな魅力ですね。この技法がマチエールも一番繊細に美しく出ると思っていますし。
また、色数を絞ることも重視しますね。私は基本的には白と黒だけを使います。その分しっかり描き込みます。色を増やしてしまうと、イメージの力が分散してしまう気がして…。ですが、今回の出品作品では初めて色を使ってみました。これまでよりももっと湿度を出してみたいと思ったんです。
そして一番大切なこととして、基礎や伝統的な技法をとても大事にするということがあります。伝統的な、今までに版画に携わった人のほとんどが触れたことのある技法を、しっかり使いこなせる人が、より深みのある作品を作れるのだと私は思っています。例えば、銅版画では、腐食のタイミングを調節することが、絵のグラデーションを作るための基本的なやり方なんですね。これはちょっと面倒くさいし難しいし時間もかかるんですが。より簡易に行う方法としては、刷りの段階でインクの量を変えて行うやり方があるんです。でも、前者の方を技法として使える人とそうでない人では作品の質に明確な差が出ると個人的には思います。単純に表現の幅が広がりますし、何より、表現に妥協しなくて済みますし。
あとは、私の絵を見て、「写真製版でもいいのでは?」と言う人もいるのですが、自分としてはあくまで手で描きたい。
――手で描くということは、手間をかけることでもあると思います。ユンさんの作品からは、かけた時間の長さや質も伝わってくるように感じます。
はい、制作には時間をかけたいんですよ。「手で描く」ことだけは、絶対にこだわりたいところです。時間をかけて、手で作ることですね。基礎的な技術が自分にしっかりあれば、いくらでも応用が効くし、それが"自分の技法"になっていくと思います。
――今後どのような制作を行っていきたいか、今後の展望について教えてください。
ここ一年くらいで、制作しながら「やっぱり自分は作品制作が好きなんだ」と再認識して、銅版画に確信が持てた、というのが大きかったんです。技術の研究も個人的に好きですし…。これからもそれを深めていきながら、作品制作と発表を継続していきたいですね。
会期|2023年9月4日(月)〜10月13日(金)
利用可能時間|午前7時〜午後10時
入場料|無料
会場|地域貢献スペース(多摩信用金庫本店本部棟2階北側通路のギャラリースペースです)
〒190-8681 東京都立川市緑町3-4 多摩信用金庫本店2階
お問い合わせ|042-526-7788(たましん美術館)
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