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「偶然のメソドロジー」鳴輪紗也加インタビュー(地域貢献スペース/立川)

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多摩信用金庫本店2階ギャラリー(地域貢献スペース)では、鳴輪紗也加(なるわさやか、1995-)による個展「偶然のメソドロジー」を2024年1月26日(金)まで開催しています。

出品作家の鳴輪さんから、展覧会の構想や作品の形態、制作のスタイルなどについてうかがいました。

(聞き手・文:たましん美術館学芸員 佐藤)





――今回の展示を企画した経緯について教えてください。


私は色々な場所で自分の展示をやってみたいなとずっと思ってきたのですが、知り合いの方から地域貢献スペースでの展示企画の募集について教えてもらい、いわゆるホワイトキューブのような会場での展示が多い中、それとは全く違う空間で展示ができるということで応募したという経緯がまずあります。どのような空間で展示するかというのが自分の中での関心ごとで、いかに空間の条件に合わせて作品を構成していくかを考慮した展示をやってみたいと思っていました。昨年は夏にも展示を行ったのですが、地域貢献スペースはその会場ともやはり大きく異なっています。そのこともあって、今回は、昨夏に行った展示とは異なったシリーズの展開で制作した作品を展示しています。ただ、自分の大きなコンセプトとしては、あくまで版画から通ずるような、「うつす」という行為が軸になっていて。そういった自分のベースはありつつ、色々な場所で、その場所の環境の条件に合わせて作品を展開していきたいなと考え、平面作品のみという条件下で、長い壁面に連続的に作品を配置するという展示を考えました。


――展示の環境ということで言うと、地域貢献スペースの空間はいかがですか。


そうですね、こういった壁面の会場はやはりなかなか見ないですよね。展示できるものが絞られていく感じは確かにありましたが、むしろ条件が絞られているからこそ、こういった作品の展開はどうだろうか、などと考えることもできました。また、普通のホワイトキューブのギャラリースペースだと、やはり見に来てくれる方は限られると思うのですが、色々な層の方の目に作品が触れる場だというのは、とても良いことだと思いました。展示環境について大切だなと思うのは、まず光の要素ですね。また、作品の周囲を360度回って見られるような場なのか、壁面にかけられた状態のみ見られる限定的な場なのかということも考えます。


――地域貢献スペースは、やはりホワイトキューブの空間よりも作品を見る環境としては気軽さが感じられると思います。作品の話に戻りますが、今回の展示では鏡をメインのモチーフにされています。鏡を用いることを選択したきっかけなどはありましたか。また、割れた鏡を用いている点についてもお話しいただけますか。


元々私は学生時代にシルクスクリーンで制作をしていたのですが、透明なアクリル板を支持体に使うなど、反射する素材とか、透明な素材に興味があったんですね。また、写真を使って制作をしていると、光や反射の関係などに対して、より興味が湧いてきたんです。そして、見ることについて言えば、肉眼で見ることとカメラのレンズを介して見ることの差異というものが気になってきました。反射すること、反射で色んなイメージが重なって見えることに対して関心を強めていく中で、鏡もそういう効果があるのかなと気づいて。そういった視点から、今回は鏡というものをモチーフに用いてみようかなと思いました。カメラや鏡など、“自分と対象物の間にある装置”を通して見たイメージ、反射によってできたイメージは、それが存在する空間そのものにレイヤー的な構造を感じさせるという感覚を作品化したいという思いがありました。

鏡を割ると当然ひび割れができるのですが、そのひび割れて偶然にできる形を、また自分で別のひとつの形に再構成していくという過程に興味があって。この作品での鏡は、このような形に割れた鏡というわけではなくて、この形に再構成した鏡なんです。そこには色々な偶然性が重なっていると思うのですが、これを撮影したときに、イメージがいくつも重なっていたり、違う物が違う角度で映り込んでいたりする部分も、個人的には面白みを感じています。


――ところどころ、異なる視点から見られた景色が隣り合っているような部分もあり、複雑な景色が作られています。あくまで、作り直されているイメージなのですね。全体的な制作のプロセスなども教えていただけますか。


基本的には、写真を撮影することでできる既存のイメージを使って制作をします。撮影は、物体を綺麗に撮るということではなく、あくまで、自分の目では見えない物がカメラを介して見えるという現象や、偶然的に撮れる映像に関心を持って行っています。今回の作品でも、まず写真を撮影しますが、そのイメージ自体は色の補正をするくらいで、加工などはあまりしていません。黒く塗装したパネルに鏡を貼り付けた装置を作り、鏡に映った物を撮影する、というシンプルな制作です。また使用した写真用紙についても、印刷で黒ベタを出そうとすると、どうしても光沢が出やすくなってしまい難しいのですが、できる限り黒ベタの箇所が反射しないような種類を選び工夫しています。今回展示したシリーズは可能であればモニターを置いて映像を流す展示を行いたかったのですが、それが可能な環境ではないということで、全て静止画として見せることにしました。連写で撮影したイメージを連続的に壁面に配置して、映像的な見せ方を提示できればと考えて展示を行いました。


――鳴輪さんはご自身の作品制作において、転写すること、うつすという行為と効果を重要視されていますが、これについても詳しく教えてください。


学生時代、最初は先ほどもお話ししたようにシルクスクリーンの技法を用いて制作していて、支持体には透明なアクリルを使っていました。”透明”という、ないようである、あるようでない、というような、存在が不安定な素材が、その頃は気になっていたんです。そこから、特にデジタルイメージと物質の関係性という部分を掘り下げていって、物質感の希薄なデジタルイメージを、三次元的な奥行きや重さなどを持った、石膏などの支持体に転写する、といった制作に繋がっていきました。ですが最近はそこからの回帰というか、曖昧な存在に対する興味へと戻る方向で制作していますね。今回展示した作品で用いた鏡もそうですが、鏡そのものの存在ってあまり意識されていないというか、映っているイメージの方に意識がいくと思います。鏡やアクリルなどが持つ存在の曖昧さや反射という要素への興味が戻ってきた感覚があります。


――映像での発表についても検討されたとのことですが、今回のような平面に限らず、これまでには立体なども含め様々な形態の作品を制作してこられたと思います。作品とその発表の形についてはどのように考えていますか。


そうですね、計画的に作品の発表の仕方を変えているということはなくて、どこで展示をするかということとか、これまでに自分の作品を作っていく中で得られる「こういうこともできるんじゃないか」という気づきなどが作品の形態、発表の仕方にその都度影響していると思います。今回の作品に関しては先ほどお話ししたように映像にも展開できるはずですし、実際に撮影に使った装置を展示したり、割れた鏡自体も、立体作品として作品化できるのではないか、などと考えています。また、例えば、ある程度の広さのある部屋のような空間であれば、割れた鏡の破片を空間の中に点在させて、”気づいたらそこに作品がある”というような状況を作るのもいいなと思ったりしますね。これまで色々な場所で展示する機会があって、それぞれ、その時々の環境によって見え方も変わるし、どのように見せるかによって作品の意味合いも変わってくると思うので、展示場所の条件や、それによってどのように作品を見せるかというのは本当に大事です。


――鳴輪さんの制作過程には、その時の状況、環境が深く関わっていることがわかりました。そして、それによって作品の見せ方などがある種限定されてしまうことについては、ポジティブに捉えているという印象を受けます。今回の展示は「偶然のメソドロジー」というタイトルで、展示ステートメントにもあるように制作の過程で作家自身の認識や意思を超え、偶然的に起こる事象について言及されています。作品の形や意味などが偶然の出来事、条件に影響を受けるということについてお話しいただけますか。


自分が大学院に進んだ時にちょうどコロナ禍になって、今まで当たり前に工房を使って制作していた環境というのがガラリと変わって、自分の家の中で完結しなければいけない状況を経験したのも大きかったと思います。版画って、どうしても工房が必要だったりとか、そもそも環境が整っていないと気軽に制作ができないということがあります。ですが、個人的には「制作に適した環境がないから制作ができない」という状況には陥りたくないという気持ちがあって。コロナ禍で、そういった状況を経験したのは、今の自分の作品の展開に繋がっていると思うんですよね。もちろん、大学の工房が使えないことを受けて、代わりに使える工房や設備を外部に求めて制作をしていた人もいましたが、私は、そういうことをするほどその技法にこだわりたいかというと、違うかもしれないと思ったんですよ。その時のその状況だからこそできることが出てくるはずです。また、大学などでは、専攻する分野が分かれていますよね。その専攻に入ったらその専攻の範囲内で作品を作るというのが当たり前の感覚になるとは思うのですが、大学を出たらその枠組みってほぼ関係なくなると思うので、大学を出た時に「あれは大学にいたからこその考え方だっただけだったんだ」と気づくというか、その環境下でできる考え方を抜け出して領域を広げていくべきなのではないかと思ったりして。他の作家さんの展示を見に行く際、作品自体ももちろん気になるのですが、作家さん自身がどういうものを見つめて作品作りをしているのかという部分に注目しますね。したい表現に合うメディアが何なのか、自分のやりたいこと、思考を形にするには何がベストなのかを常に考える必要があると思っています。


――鳴輪さんの作品の形態は、版画に対して「絵画としての版画」という印象が強い人にとっては珍しいものとして映る場合が多いのではないでしょうか。ご自身の表現と版画という領域の結びつきについてはどのように考えていますか。


私は元々、女子美では洋画専攻で、その時まで、版画はほぼ未経験だったんです。学部1年のとき、国立新美術館でポップ・アートの展覧会(「アメリカン・ポップ・アート展」2013年開催)を見まして、ロバート・ラウシェンバーグやアンディ・ウォーホルなど、ポップ・アートのアーティストが作品の中に版画の写真製版の技法を取り入れたりしているのが気になったんです。私は元々油絵を描くよりも、コラージュに興味がありました。映像的にイメージを構成していくという、編集作業的な感覚と言えばいいのでしょうか、そういうものに関心を持っていた時期にこの展示を見たんですね。特にラウシェンバーグは、コラージュ的な感覚で様々な素材を用いているのですが、それが純粋に「格好良い」「面白い」と感じました。女子美の洋画は2年次から専攻のコース分けがありまして、それまでコラージュや写真による作品制作をしてきたので、それをキーワードにして自分のやりたいことを考えました。また、写真が版画と結びつきが強いメディアだということを知ったのも大きく、そこで、版画を専攻しようと決意しました。版画のコースに入ってからも、もっぱら写真のイメージをいかに作品として展開するかを考えてずっと制作してきたので、興味関心としてはずっと一貫しているんだと思います。私は学生時代に版画という領域にいて、版画から本当に色々なアイデアをもらったし、自分のベースにはやはり版画があるように感じていますが、だからと言って、版画にとらわれたくないなと思っています。…ですが、版画を専攻していなければ考えもつかなかったアイデアというのはたくさんありますね。例えば、以前制作した、石膏の塊にイメージを転写した立体作品は、版画を学んできたからこそできた表現だったと思っています。


――これからどのような制作をしていきたいかなど今後の展望についてお聞かせいただけますか。


映像作品を制作してみたいです。特に、それをどのように空間の中に配置するか、今回のようにパネル貼りにして平面作品として発表するのもいいかもしれませんが、いかに環境の中に溶け込ませて表すかを考えていきたいですね。また、アートブックを作ることも個人的に行っているのですが、自分の今の作品を、本という媒体に落とし込んだ時にどのように変化していくのかという点について、今後チャレンジしてみたいと思っています。




 




会期|2023年12月11日(月)〜1月26日(金)

利用可能時間|午前8時〜午後9時

入場料|無料

会場|地域貢献スペース(多摩信用金庫本店本部棟2階北側通路のギャラリースペースです)

         〒190-8681 東京都立川市緑町3-4 多摩信用金庫本店2階

お問い合わせ|042-526-7788(たましん美術館)






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