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「興懷致一 日本画3人展」出品作家インタビュー(地域貢献スペース/立川)

更新日:2023年5月13日

多摩信用金庫本店2階ギャラリー(地域貢献スペース)では、陳笑(ちんしょう、1997-)、林銘君(りんめいくん、1995-)、封雨潇(ふううしょう、1996-)によるグループ展「興懷致一 日本画3人展」を2023年5月19日(金)まで開催しています。

展覧会のコンセプトやそれを支える思想、それぞれの制作背景などについて伺いました。


(聞き手・文:たましん美術館学芸員 佐藤)




――今回の展覧会を企画した経緯について教えてください。


陳笑(以下、陳):昨年4月に地域貢献スペースで開催された「Rebirth」展に、私たちの大学の先輩だった王露怡さんが出品していまして、その展示を見てここを知りました。きれいな会場だなと思ったんです。

また、人間の精神や宗教、神秘的な存在など、私たちそれぞれの興味関心が重なっているので、それを元にした展覧会をこの会場でできれば、と思い企画しました。



――展覧会名の「興懷致一」にはどのような意図が込められているのか教えてください。


陳:これは、王羲之の「蘭亭序」の中の二つの単語を取り出して、つなぎ合わせた造語です。宇宙の存在とその大きさを意識しています。限りなく広大な宇宙の中であっても、きっとそこには何か共通する原理があるはずという考えがあって作りました。…それを具体的な言葉にするのは難しいのですが。



――展覧会のコンセプトとして、芸術作品が人に、人間中心主義的な考え方に対しての再考を促すことができるという考えがベースにあるということです。人と自然は対等なものであるという考え方や、「脱中心化」という言葉も挙げられています。こういったテーマを取り上げるきっかけは何だったのですか。


陳:コロナ禍がやってきて日常生活が一変しました。すると、一般的な社会のルールから自分が少し離れたような感覚になり、自分の内面の奥の方へとどんどん意識が向いていったんです。そんな状況で、結果的に、普段自分たちが身を置いている環境や社会のルールの存在を改めて認識することになりました。それが、自分の身に起こったこととしての「脱中心化」と言えると思っています。私たちが実際に生活している社会でも、絵画の世界でも、普段みんなが守っている正しいルールというものが存在しているわけですが、そこから離れて、それ以外のルールについて考えてみたいと思いました。自分たちにとって共通の興味関心である神秘主義の思想とか、科学と対立している領域や存在についての意識も、その考えに結びついていきました。


封雨潇(以下、封):私にとっても、コロナ禍は大きなもので、日常の変化から自分の心の内側を深く見つめることになりました。私は日本画を学び始めてから、人の心の中にある神秘的な光景を描くことをテーマにしてきましたが、これまで以上に、人の意識や心の領域と、それ以外の領域の結びつきについて考えさせられました。


林銘君(以下、林):私は留学してきてから学んできた日本画の枠組みを、どうにか抜け出したいと思いながら制作しているのですが、そのためにも、あくまでも日本人ではないという自分の立場を意識したうえで日本画を捉えてみることに重要性を感じています。その考え方はまさに、「日本人による日本画」という“中心”から離れた視点を元にしているという意味で「脱中心」的なものと言えると思います。



――今回展示している作品の制作背景にはどのような考え方がありますか。


林:まず私は、人々の象徴としてカタツムリを捉えています。カタツムリの個体はその殻によってのみ区別されると考えていますが、そのことは、社会における人間同士の差別の構図を指しているように感じたので、まさに現代を生きる人々を表現するのに適していると考えました。そして、黒い丸の形は宇宙の姿や人間を形作る一つ一つの細胞を意識したものです。今回の出品作品(《脱獄》)にも描かれている額縁などはまさに「社会の枠組み」や「社会のルール」を象徴していますが、そこから抜け出そうとしたり、抑圧され囚われていたりといった人々のイメージを描き出そうとしています。色数を抑えているのは、モノクロームの方が私にとっては色として豊かであると感じているからです。白と黒の間の色だけを使用することはとても重要なんです。


封:私の絵は、自分の内側にある神秘的なものについて描いているのですが、この円弧は、伝統的な曼荼羅を示していて、円満(仏教の言葉で、欠けたところがない・完全無欠の意)の状態の象徴として描いています。

周囲に描かれた人体は、不安定な世界からこの秩序の取れた円満の領域に引き込まれていくところです。なので、周囲に広がっていくというより絵の奥の方に向かっていくような方向性があります。私は人々が精神的な円満の状態へと至る過程を描きたいと思い、これまで継続して円弧のイメージを用いてきました。


陳:私の絵には教堂(教会)の建築がよく出てきますが、幼少期によく入り浸っていた両親の仕事場の近くに教堂があり、親しみのある存在だったというのが理由の一つです。私は特定の宗教を信仰しているわけではありませんが、あくまでモチーフとして注目し続けています。鉱物由来の顔料は古くから宗教画に用いられますし、自分の描きたいものに日本画は適していると思います。そして、自身の卒業制作においてもそうでしたが、全知全能の神様と言いますか、神聖な四つ脚の生き物として個人的に捉えている馬を、作品に取り込むことが最近は多いです。

また、私はどちらかと言うとずっと具象的な絵画を描いてきましたが、たどり着きたい地点としては抽象であると考えています。今は難しいのですが…。



――「日本人によるものではない日本画」というお話が先ほどちらっと出てきましたが、皆さんはどのように日本画というものを考えていらっしゃいますか。また、日本画を学ぶことについてどうお考えですか。


陳:私は日本でどのようにこの技法が扱われてきたのかなど、日本の伝統という文脈で日本画を学んできてはいますが、伝統とか歴史を意識するというよりは、あくまで、自分個人の表現の手段として捉えていきたいと思っています。

例えば、中国の敦煌壁画には岩絵具を使用して宗教世界の神聖な存在が描かれています。なので、岩絵具というのは中国絵画にとっても伝統的な画材なのですが、岩絵具を作る方法など実際に使用していく技術というのは、中国国内では流れてしまっているように感じています。なので、この画材について学ぶために日本に来るということは、結構ある話かと思いますね。


封:日本画を学ぶということで言うと、日本画の素材は使い方が難しくて、描くことそれ自体よりも、描くまでの準備段階がとても複雑なんです。紙の水張り、描画材の下準備など、描きはじめるまでの、儀式のようにも感じられる過程に長い時間がかかります。ですが、今回の展示のコンセプトにある「人と自然」ということに絡めて言うならば、その“儀式的”な過程では、素材を扱うことを通して、人間本意の制作とは異なる、自然とのつながりが意識されます。

私も、日本画を「日本の伝統」という側面を引き受けて制作するわけではなくて、自分の人生において追求していくべきテーマを具現化するために適した表現であるというふうに考えていますね。


林:自分にとっての日本画というのは、これまでに大学で学んできたような、伝統的な特定の画材を使用した絵画のことではもはやなく、日本で送る日常生活の中での個人的な経験を受けて生まれた作品のことであると定義しています。


陳:私たちの学んだ多摩美術大学の日本画の教員は、人間とそれ以外の事物との関係を描くことに重きを置いている方が多い印象があります。私たちが彼らから教わったこととして印象に強く残っているのは、日本画において人と物質との関係性を描くことはとても重要なテーマである、ということです。



――今後の展望について教えてください。


陳:自分は今年から多摩美術大学の大学院に進学しましたが、平面作品の制作をベースにしながら、卒業制作でも行ったように、立体表現へのアプローチも考えていきたいです。


封:私は、日本画にとらわれない表現で、平面作品の制作を通した「人の心の中の神秘的な光景」というテーマの探求を続けていきたいと思っています。


林:私は、これから画家専業で活動していくつもりですが、日本画の画材にとどまらず、その時の自分にとって最適な画材や方法を見極めた制作を行っていきたいです。



 

会期|2023年4月10日(月)〜5月19日(金)

利用可能時間|午前7時〜午後10時

入場料|無料

会場|地域貢献スペース(多摩信用金庫本店本部棟2階北側通路のギャラリースペースです)

   〒190-8681 東京都立川市緑町3-4 多摩信用金庫本店2階

お問い合わせ|042-526-7788(たましん美術館)


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